先週、残り一枚だけとなった1dayチケットを使って最後の課金を行ってきた。
これは小説スレでたまに行われる座談会に参加するとき用、と思って取っておいた1枚だったのだけど、いつもそうやって買っておいたチケットでキャラの生き伸ばしばかり行ってたから、もういい加減ケジメをつけないとな、と思って。今回の課金で、全部をやっておこうと思った。座談会のときはまた買ってくればいいだけのことだしな。
ログインして驚いたのが、かつて世話になった人達がまだ、いつものたまり場に残っていたことだ。といっても彼らは、前に会ったときもROからまだ離れる気配が無かったから不思議じゃないんだけど、ずっとMoEに居ついていた私にとっては、なんかこう、軽くショックみたいなものを感じた。きっと私がMoEに居ついてるのと同じ理由で、彼らもまたここにいつもいるのだろう。
しばし雑談をしてから、最後の仕事に取り掛かる。
途中を省略するけど、思い出の場所めぐりを軽くすませ、一番想いの深いゲフェンへと帰ってみた。徒歩で。そこで一度だけゲフェニアへ入ってみてから速攻で死んで、復活ポイントで装備ばら撒き。大したもんじゃないけど誰かの財布をちょっとでも潤せたなら幸せだ。
近くにいた人がその様子を見て、
「落とすと拾われちゃいますよ」
と親切に教えてくれたけれど、いいんですこれで、とだけ答えて、さよならと一方的に告げて逃げた。
そして初めてやわ毛売りチャットを立てて人と会話した場所へと移動した。昔とBGMが違うけれど、ここが私にとってのMMOの原点となった場所だ。消えるにはふさわしい場所だろう。
「ちょっと待ってくださいよ」
草原に腰を下ろし、後はこの意識が途絶えるのを待つだけというところ。ゆっくりと目を閉じて夢に落ちるかのように消えようとした私の意識を呼び止めたのは、誰かの声だった。いつもは仮面で覆って隠していた素顔を晒した今、誰かと話すのはちょっと恥ずかしかったけれど、私はゆっくりと振り返った。
そこにいたのは、さっき装備を捨てたときに声をかけてくれた、一人の騎士だった。まだ幼さの残るような顔立ちをした彼は、それでもきっと、私よりも遥かに強い立派な騎士なのだろう。
「あなた、いきなり何をしてるんですか」
そう言う彼の手には、さっき私が捨てたシルクローブが抱えられていた。デザートウルフの子供のカードが刺さったそれは、今では大した価値を持たない、言ってしまえばゴミのようなアイテムだった。彼はそれを、大事そうに抱えていた。
「何、って」
やれやれ、と思いながら私はゆっくりと立ち上がる。
「装備がもう不要だから、捨てただけだよ」
「そういうことじゃなくてですね」
その答えが不満だったのか、彼はややムッとした表情を見せる。
「じゃあ言い方を変えよう。……この世界から消えようとした、と言えば、流石にわかるよね」
次は何か苦いものを噛んだような、そんな表情。まぁ私のこの答えを、彼だって十分に想像していただろう。だから、彼は何故だとかそんな余計なことは一切聞かない。
「……やっぱり、それですか」
ただ一言、悔しそうにそう呟いた。
「そ。だからもう、アイテムも何もいらないんだ。だから全部捨てた。何もかも、捨てて……」
そう言って私は彼に背を向ける。ゲフェンの東に広がる大きな湖が目に写り、波に揺れる陽のきらめきが目に眩しい。仮面を外すだけで、こうも見える景色が違うものなんだなと、かつてはよく見たその景色に感嘆する。
「……じゃあ、その、」
そう言って、彼は私の左手を指差す。「その中指につけた銀の指輪は、なんなんですか」
「あぁ、これ」
そう言って私は左手を顔の前まで持ち上げる。
「綺麗だろ。大した価値も持たないただの指輪だけど」
「それは、捨てないんですか」
「なんだ、こんなのでも金になるから欲しいのか?」
クックと笑って言って見せるが、彼の真剣な眼差しは揺らがなかった。
「……まぁ、ほら。あれだよ」
ぐしゃぐしゃと頭をかく。あんまりこういうクサい台詞は言いなれてないから、言う前からして既に恥ずかしい。
「思い出までは、捨てる必要はないだろ?」
――あれはそう、何年前の話だったか。
一年前か、二年前か。それとも十年前なのか、あるいはもっと昔か。
実際のところはそこまで遠くは無いが、色々なことに疲れきった私にとってはそれほどまでに遠く思える過去の話だ。まだ私がウィザードになるどころか、マジシャンになってそう日が経っていない頃の。
その頃の世界はまだ今ほどに冒険者の数が多くなく、また上位職に転職することが許される前の世界だった。だから各地のダンジョンには幅広い職業の冒険者がいる、というわけではなかったが、どこへ行っても似たような冒険者達が多くいるような、そんな世界。
その日の私は、いつも篭りっきりの地下水路ダンジョンではなく、モロク西部にあるピラミッドダンジョンへと出向いていた。何でその日に限ってそんなところへ行ったのか、今となってはまるで覚えていない。ただの気分転換だったのか、あるいは暇つぶしだったのか。それとも自分の力を慢心して背伸びしただけなのか――ただ一つ覚えていることは、私はそのダンジョンに来たことを、「失敗した」と思っていたことだけだ。
まだ盗蟲数匹を同時に相手にすれば逃げる以外に選択肢が無かったような無力な私には、一階はまだしも二階、それどころか三階なんて到底無理な話だった。モンスターと出会ってはすぐに踵を返し、逃げ出していた。手に握った蝶の羽根をいつでも使えるようにして保険をかけて、ただいけるところまで行ってみようと思って進んでいたのだが、一人という寂しさと周囲の恐ろしさに今にも泣きそうな気持ちだったことは覚えている。
三階のダンジョンを、人がまばらな中を怯えながら走り続け、もうすぐ四階への入り口が見えるというころ。四階にはそこそこに人が集まっているという話だったので、そこまで行けば安全だと思って、僅かに心がホッとしたその目に、映ったのは行く手を阻むイシスの姿だった。
当然敵うわけがないので逃げようとも思ったのだが、嫌なことは重なるもので、振り返ったその瞬間にマミーが私のすぐ背後に出現したのだ。前も、後ろも、塞がれた。
そしていよいよ蝶の羽根を使うしかないというところで、最後の詰め。別の冒険者が、四階からの階段を降りてきたのだ。私とそう年の変わらなそうな、シーフの少年。今ここで私が蝶の羽を使って逃げ出せば、このモンスター達は彼に襲い掛かって、もしかしたら彼が死んでしまうかもしれない。
それだけは避けなきゃ――そう思案しているその一瞬の間に、マミーの鋭い一撃が背中に衝撃を与え、そして吹き飛ばされた目の前にはイシスの姿があった。背中の傷からの激しい出血の中、あぁ私はここで死ぬんだな、と。ぼんやりとそんな現実を受け入れていた。
イシスの腕が振り上げられ、いよいよここまでかと思った……まさにその時だった。突如としてイシスの顔がゆがみ、私ではなく己の背後を振り返った。そこにいたのは、さっきのシーフの少年だった。少年はイシスの攻撃を巧みに交わしながら、目にも留まらぬ速さでイシスを切りつけていき、あっという間に倒してしまった。
そしてそのまま私の横を颯爽と駆け抜けると、私の背後にいたマミーまでをもなぎ倒した。見た目は私と同じくらいに見えたその少年は、私なんかじゃ足元にも及ばないくらいに強かったのだ。
そのシーフの少年の強さに驚きつつも、助かったと思った。これで安心して蝶の羽を使って帰還出来る。傷は痛いけれど、街へ戻ってしまえばいくらでも手当てのしようがある。だから私は手のひらの蝶の羽をそっと掲げ……。
「Wait!」
けれど聞こえてきた耳慣れない言葉に、その手が止まった。
何といったのだろうとシーフの少年を見た。手を前に出して何かを抑えるような動きをしている彼は、恐らく「待って」と言いたかったのだろうと思った。私が蝶の羽根を使うのをやめたのを確認すると、彼は床から何かを拾い上げて私の横まで走ってきた。
傷の痛みから、吹っ飛ばされて寝転んだままの私の指に、かれは何か冷たく小さいものを押し付けてきた。何だろうと思って手を開いてみると、そこにあったのは「銀の指輪」だった。その当時はそこそこに値のはる、レアと呼んでもいいくらいに貴重なそのアイテムを、だ。
「これ、は……?」
彼の意図がつかめずに聞き返す。言葉は伝わってないのだろうが、彼は私が言いたいことがわかったのだろう。しばらく考えたから、言った。
「It's item is your item! um...... I steal your Monster! This item,drop your monster. That is this item is your item!」
多分、こんなようなことを言っていた。彼は彼なりに優しい単語だけを選んで伝わりやすいようにと、文法も気にしないで言ってくれたのだろうが、なんと言っているのかさっぱりわからなかった。この言葉だって、きっとこうだったんだろうって、うろ覚えの記憶を頼りに私が再生成した言葉だ。
けれど、彼の言いたことは十分に伝わってきた。このアイテムは君の敵が落としたアイテムだ、だからこれは君の物だ、と。彼はそう言いたかったのだ。
そんなことはない、と私は必死にそのアイテムを彼に返そうとしたが、彼はそれを受けとならなかった。そしてにこりと笑顔を見せると、彼は手を振りながら、
「Good luck!」
そう言って走っていってしまった。
私はその背中に、唯一喋れた彼の国の言葉である言葉を叫んだ。
「Thanks you! Thanks you!」
それ以来、彼の姿を一度も見ていない。
その出来事のあとしばらくして、私とは違う国からやってきた冒険者を一方的に追い出す、という出来事があった。彼の国と同じ出身者の人達が、街中でノーマナーと呼べる行為を繰り返したのが原因のようだ。
当然、彼も追い出されたのだろう。だからもう二度と、彼と会うことは叶わない。お互いに名前も名乗らず、ただ私が死に掛けていただけのところを、彼が救ってくれただけの話。その記憶と、彼が残してくれた「銀の指輪」が手元にあるだけで、それ以外に彼と関わりのあるものは全てなくなってしまった。
けれど。もう彼とは会えないけれど、会って改めて礼を伝えることは出来ないけれど、この指輪は残った。ならば、この指輪はずっと大事にしていこうと。彼への感謝を忘れないように、ずっと大事にしていこうと思った。
私はそっと、その指輪を自分の指にはめた。どこかで彼がまた笑顔で人を助けている姿を想像しながら、私はまた、自分の冒険を続けていった――。
「それからまたしばらくして、ルーンミッドガルド王国に一度全ての装備品を奪われてね。その銀の指輪も持っていかれてしまったんだ。だからこの指輪は偽者。その後で改めて拾いなおした、別の指輪なんだ」
指から指輪を外して、それを陽に掲げてみた。キラリと陽を反射させたその指輪は、とても眩しく私の目に映る。
「けれど、本物の指輪じゃなくても、思い出は宿ってるんだ。今でもこの指輪を見ると、あのときの彼の笑顔と、"Good luck"という彼の言葉が思い出されてね……過去に何度も、励まされてきた」
掲げた指輪をそっと下ろし、もう一度指にはめなおす。
「もうこの世界で生きていくことに、私は疲れてしまった。だから消えることにした。だからもう使わなくなってしまったものを全て捨てた……けれど、この指輪だけは、捨てたくなかったんだ。勝手なエゴだってことはわかってても、この指輪だけは捨てたくなかったんだ」
そう言ってからもう一度、騎士を見やる。鎮痛な面持ちでこの話を聞いてくれただけでも、彼の人の良さが伺える。まだこの世界にも、こういう人が残っていてくれたことに、私は心底感謝した。
「もし……」
彼がそっと、口を開いた。「もし、そのシーフさんともう一度会えたなら……あなたは、どうします?」
「ん……そうだな」
もう会えないから、とずっと諦めてしまっていたその可能性。だからそんなことは一度も考えたことなかった。けれど、考える必要なんて無かった。最初っから、どうするかは決まっていたのだ。
「ただ一言。今度はちゃんと、ありがとうって伝えたい。ただ、それだけかな」
「そう……ですか」
彼がそれで満足してくれたのかは知らない。けれど騎士は私の返答を聞いて、すっと一歩引いた。もう、止めないという意味だろうか。
「悪いね、こんな長話につき合わせちゃって」
「いえ、こっちが引き止めただけですから」
「全く、いい迷惑だった」
ニヤリと笑って、私は彼にまた背を向けた。もう二度と、振り返ることはない。
すっと目を閉じれば、ゆっくりと意識が遠のいていくのが感じられた。もうまもなく、私という存在はこの世界から消えてしまうのだろう。その後に残されたこの世界がどうなろうとも、もう二度と私にとっては関係のないこととなるのだ。
……だから。
「あぁそうそう。最後に言い忘れてたことがあった」
「……なんですか」
だから最後に、捨て台詞くらい置いていこうか、と。そう思った。
「ここで会えたのも何かの縁だ……けれど、もう二度と会うこともないだろうね。だから、この言葉を送るよ」
消えかかった意識の中で、その一言を。私ははっきりと、口にした。
「”君に、幸あれ”」