よく、ドラマとか映画とか漫画とかアニメとか小説とかで、怪我をしてるのにそれを隠して、痛みに我慢しながら何かを成し遂げて。それで後で怪我してたことが皆にバレたりして、感動というかなんというか、カッコイイというか。そういう感情を読者に持たせる話ってあるじゃない。
私もそれを見ると、良いキャラやねぇとか思うんだけど、あれは架空の世界で行っているからそう思っていられる。
現実世界ではやらないでほしい。あれをやられると、凄くイヤだ。
母はリウマチという病気を患っている。なんでも白血球の暴走により、間接などの骨がやたらと痛む病気で、悪化してくると立ち上がったり座ったりするだけで相当の痛みが伴うらしい。その病気にかかってから早数年、母も残りの家族みんなも大分馴れてはきたものの、やはり母が痛みを訴えると皆が心配していた。
母が痛みを訴えることはあまりなかった。よく、医者にもらった薬が効いてて大分ラクになったと言っていたから、てっきり私は病状はあまり悪くないのだと思っていた。ところが先日、ついさっきまですっかり元気な姿を見せていた母が、突然、夕飯の準備をしているときに皿を一枚落としてしまった。
最初は手が滑っただけなのだろうと思っていたし、母も言っていた。けれどよく母の動きを見ていたら、どことなくぎこちなさを感じ、次に表情を注意深く見ていたら、時々その顔が歪むことが幾度かあった。そこでやっと気付いた、母は痛みを我慢してやっているんだ、って。
すぐに母に、代わりにやるから休んでいろと言った。けれど母は「大丈夫だから」といって聞く耳を持とうとしない。なんでそんなに無理するんだ、とやや怒り気味に言うと、バイトで疲れてる私に負担をかけたくないからだ、と母は言った。
正直、怒鳴ってやりたい気分になった。
んなことで無理してんじゃねーよって。
私は頼ってもらえなかっただけじゃないのか。いや、そうじゃなくても、私が疲れていると言っているせいで、母に余計な負担を与えていたんじゃないのか。負担を与えていたのは私だったんじゃないのか。
そんなことを考えてしまって、胸糞悪い思いになった。映画や漫画で抱いた感情とはまるで違う、ただそこにあった感情は「怒り」だけだった。母に対してのものなのか、私自身に対してのものなのかはわからないけれど、そこにあったのは紛れもなく「怒り」だけだった。感謝も、敬う気持ちも、微塵も沸いてこなかった。
もっと頼れよ、家族なんだからと言って無理やり母を休ませ、下手な夕飯を一緒に食べて、母をさっさと部屋に追いやってから、それでも私は一人でその怒りを噛み締めていた。
痛みに耐えて頑張る、という姿は美しいのかもしれない。けれどもそれは必ずしも、周囲の人のためになるとは限らない。それが私だけが思っていることだとしても、それでも私は、痛みに耐えて頑張る人が嫌いだ。母がそれをわかってくれたのかどうかは知らないが、それ以来、痛いときは痛いというようになってくれて、少しほっとしている。
ところでおまい様方。
ほんの数日で、あっという間にソルジャーまで逆戻りしてしまいましたよ、っと。('A`)
(例によって文章の読み直しはしてねぇでげす。どっかに荒があってもそれは仕様でs ;y=ー( ゚д゚)・∵. ターン